2015年7月に行われた第39回世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されましたね。
鹿児島の人たちも行ったことがないし知っている人も少ない場所です。
関吉の疎水溝とは
集成館事業の高炉や鑚開台(砲身に穴を開ける装置)などの動力には、蒸気機関が研究段階であったため使用できず、代わりに水車動力が用いられました。
元来、仙巌園には、鹿児島市吉野台地の西方に位置する下田町関吉から園に水を供給するための疎水(吉野疎水)が築かれていました。そのため、1852年、島津斉彬(しまづなりあきら)はその疎水から新たな水路を築き、約7kmに渡って導水し、集成館の水車に水を供給しました。
関吉には、稲荷川から取水した当時の取水口跡が残っており、疎水溝の一部は現在も灌漑用水として利用されています。
磯地区にも集成館への水路跡が残っています。
関吉の疎水溝は、鹿児島城下を流れる稲荷川の上流にあります。
場所は?
住所:〒892-0873 鹿児島県鹿児島市下田町1263先
電話:099-227-1962(鹿児島市教育委員会文化財課)
アクセス:JR鹿児島中央駅から緑ヶ丘団地線にて30分、下田バス停下車、徒歩12分
JR西日本鹿児島中央駅から自動車で約30分
九州自動車道吉田インターチェンジから自動車で約15分
駐車場は?
普通車が15台ほど停めることができるようです。
駐車場から歩いて5分ほどで目的地の疎水溝に着きますよ♪
私たちが行ったときは、警備員の方がいて親切に教えてくださいました。
この上の写真奥の道をずっと歩いて行きますが、バイクで行こうとする観光客もいましたがダメなようです。
駐車場からの道案内は?
案内の看板が設置されているので迷わず行くことができます。
歩いて5分ほどで到着
平成30年、明治維新150周年まであと2年
明治維新とは江戸幕府の体制が崩壊し近代国家形成の契機となった一連の政治社会の大変革のことであり、薩摩藩はその原動力となりました。薩摩藩は、1862年に横浜で起きた生麦事件に端を発した翌年の薩英戦争により、西洋の軍事力・科学技術のすさまじさと、攘夷の困難さを知りました。その後、薩摩藩は、西洋文明の吸収に努めるとともに、江戸幕府打倒に向けて大きく動き始め、そして1868年に「明治」という新しい時代が幕を開けることになりました。
2018(平成30)年にその明治維新から150周年という大きな節目を迎えるため、
2012(平成24)年から2018(平成30)年までの期間に、「明治維新150年カウントダウン事業」として、
さまざまなイベントに取り組んでいるそうです。
おすすめサイトはこちら⇒明治維新150年 維新のふるさと 鹿児島市
まとめ
関吉の疎水溝は、鹿児島市でも知名度が乏しく、知名度の向上とガイドの育成が課題とされているそうです。
もっと多くの観光客の方が訪れ、大切な遺産を大切に残していきたいですね!(^^)!
我が家は冬に行ったので寒かったぁ💦
次回は夏に行ってみたいと思います(*^▽^*)
koto
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